連載7 愛とは時間をムダにすること!?
もう一度問います。効率的な愛は可能か、と。
人は愛なしに生きていけない、というのは、今や科学的にも明らかな事実です。でも、その愛とは何かという問いに答えることはなかなか難しい。
世の中に愛という言葉や♡マークが溢れる一方、かえって愛は不足し、愛し愛されることが困難になっているようにも思えるのです。
愛について、時間の観点から考える手があります。
サン・テグジュペリの『星の王子さま』にこんな場面があります。七番目の星、地球に辿りついた王子さまは、やがて5000ものバラの花が咲いている庭にやってくる。彼は、そこで自分の小さな星に残してきたバラの花を思って泣き崩れる。この世にたった1つだと思っていたものが、実は、どこにでもある花だったと知って悲しかったのです。
そこにキツネが現れて王子さまを慰め、ふたりは仲良しになる。キツネは友だちになることを通して、互いに「かけがえのない存在」であることの意味を王子さまに教えてあげるのです。
やがて、また旅立ってゆく友にキツネはこう言います。「君が、あのバラの花をとても大切に思っているのは、そのために時間をムダにしたからなんだよ」
そして、人間が忘れているこの大切なことを、君は忘れないように、と。
ここには、「愛とは何か」という問いに対するひとつの答えがあります。つまり、「愛とは相手のために時間をムダにすること」
大きな画布いっぱいに一輪の花を描くことで知られた画家ジョージア・オキーフは、晩年、こう嘆いたそうです。「誰も花を見ようとしない。花は小さいし、見ることには時間がかかるから。そう、友だちになるのに時間がかかるように」
花をじっと見る。目をつむってその香りを楽しむのもいい。でも、それは時間のムダだ、と忙しがり屋は考える。そんなことは何の役にも立たないし、何の得にもならない、と。遊んでいる子どもに、大人は言うかもしれない。「もっと時間を有効に使いなさい」と。
あのキツネの教えによれば、時間をムダにすることは、効率性、生産性、合目的性などの要請から自由に、自分の時間を過ごし、自分の人生を生きること。愛とは、それが何の役に立ち、何の得になるかにはかかわらず、惜しげなく相手のために時間を使うこと。愛はスローで、時間がかかる。だから時には面倒くさい。でもだからこそ、愛は愛。
ゆっくり小学校は哲学者ルソーのこんな言葉を大事にします。「教育で最も肝心なこと、それは時間を稼ぐのではなく、ムダにするのを教えること」
2014年 婦人之友 7月号掲載