サティシュ・クマール ≫ Resurgence

2014年 5・6月号 No.284

res284

サティシュ・クマール ”WELCOME”

 真なること・善きこと・美しきこと

わが「リサージェンス&エコロジスト」誌の目標は、真なること(Truth)、善きこと(Goodness)、美しさ(Beauty)を実践し、追求し、広めることです。古代ギリシャ文明の昔から続くこの真・善・美という三位一体こそが、本誌が拠って立つ土台と言えます。本誌に掲載する論文や評論、詩や絵画を選ぶ時、私たちは自問します。それは果たして真・善・美の基準をクリアしているか、と。それは真実を伝えているか。それは、読者たちに善をなすか。それはバランス感と調和を体現しているか、つまり、それは美しいか・・・。こう問いながら、私たちは真・善・美の基準にできるだけ寄り添おうとしているわけです。

そうした仕事を通じて、真・善・美が、自分自身の私的、政治的、社会的、経済的な生活に影響を及ぼすことを、私たちは望んでいるのです。それはきっと、読者や文章やアートを寄せてくれる方々にとっても同じことでしょう。科学、スピリチュアリティ、そして芸術は、真・善・美から流れ出るものです。

科学の目的は、真実を探求すること。真実を知るためには、科学が必要です。本物の科学とは何でしょう? それは計算や計測や正確性などを含んでいるとはいえ、それらを遥かに超えたものです。特定の方法論は、真実に近づく様々な道のひとつに過ぎません。直観、経験、内省、意味などもまた客観的な知識、証拠、実験などに劣らず、重要なのです。

もし、現代世界で通用しているような科学が真実と同一視されたらどうなるでしょう。科学の一人歩きは困りものです。なぜなら科学は、戦争にも金儲けにも使われますから。核兵器を製造したり、自然環境を支配したり、同胞である人間を搾取する為にも使われるのです。だから、その真実を知るための知は、善と融合していなければならないのです。自分だけでなく、すべての存在にとっての善と。また、善とは、魂(スピリット)の性質です。だから、真なることと善きことの間―科学とスピリチュアリティの間―には、完璧な調和がなければなりません。片方なしには、もう一方は成り立ちません。真実の刀は、善の鞘の中で、守られる必要があるのです。慈悲は、真実にとっての素晴らしい伴侶です。両者が切り離されれば、どちらもその価値を失います。

現代世界では、真実、科学、物理的な事象、計測性などが、あまりにも重要視されています。一方、善きこと、慈悲、意味、知恵などは過小評価されています。両者の間のバランスが取り戻されなければなりません。スピリチュアリティというのは、宗教組織のことでもなければ、特定の神学や信仰を指すものではありません。それが指し示すものは、関係性、共感、慈悲、そして知恵です。あの有名な科学者アインシュタインでさえ、「宗教なき科学は盲目であり、科学なき宗教は不具である」と言いました。ならば、ふたつをバラバラにする意味は、ありませんよね。

真と善が融合し、科学とスピリチュアリティが一体となったとき、それは美として顕現するでしょう。だからこそ、芸術は人間の幸福にとってならなくてならないものなのです。科学が真実と、スピリチュアリティが善と相関するように、アートは美に関わっています。

この三者からなる三位一体を、Hで始まる3つの言葉に置き換えることもできます。Head(頭)、Heart(心)、Hands(手)です。頭とその思考と知性をもって、私たちは真実を把握します。心をもって、善を経験します。そして手をもって、美しさを創造します。不幸なことに、現在の教育システムや経済システムは、頭にばかり重きを置いて、心と手を軽んじています。頭脳労働者や知識人には、高い給料が払われています。銀行やオフィスで机の前に座ってコンピューターを叩く仕事が、家を建てたり、水道工事をしたり、家具を作ったり、陶器を焼いたり、畑仕事をしたりするのより、高い価値を持っているとされています。現代社会に流行しているのは、手仕事はできるだけ機械にやらせたほうがいいし、それが駄目なら、貧しい国からやってきた移民か、国内の低賃金労働者にやらせればいいという考えです。

イギリスの手工業製品のほとんどは、バングラデッシュなどのような国の貧しい職人達によって作られたものです。その一方で、イギリスのような“先進国”では、知識経済へと舵をきるべきだというのです。なんと不均衡な世界でしょう。

今社会が必要としているのは、ホリスティック(包括的)な視点で描かれた全体像です。バランスのとれた健全な社会であるかどうかは、精神労働と肉体労働が等しく尊敬されるかどうかをみればわかります。どちらも私たちには必要なのですから。それさえできずに、ヘッド、ハート、ハンズが調和のもとに発展するなどということは有りえません。科学とスピリチュアリティとアートは、手と手を取り合って、真善美という三位一体へと向かうのです。(後略)