2014年 11・12月 No.287
平和の経済学
これまでの経済学の多くは市場における競争、お金、そして利益を最優先してきました。そして“永遠なる経済成長”という幻想に突き動かされてきたのです。その結果はどうだったでしょう。ほとんどの場合が不平等、社会的対立、環境破壊などであり、時には戦争でした。
(中略)
一方、健全なる経済システムは、人間社会における公正さや平和、そして自然環境の持続性などに深い関心を寄せるものです。エコロジーとエコノミーというふたつの足で立てばこそ、社会は安定します。ところが現代社会の経済は、私から見ると、 “戦争の経済”です。戦争とは資源への支配権をめぐって行われるもの。政治的な権力の追求もその同じゲームの一部です。戦争の政治学は、より多くの資源―石油、天然ガス、水、土地など―を獲得することによって、さらに多くの利益をあげようとする貪欲さによって突き動かされています。
こうした文脈の中では、国益や国の安全も、この資源獲得競争の結果次第であるかのように見えてきます。だから国家は競い合って、世界中で自然資源をあさり、つかみ取ろうとするのです。でも、社会が永遠に増え続ける消費へと自らを駆り立てている限り、私たちは戦争をなくすことも、国々の間に平和を打ち立てることもできません。
平和とは、単に戦争の不在のことではありません。平和とは、生き方のことなのです。それは私たちが自ら進んで質素で、シンプルな優雅さに満ちた暮らしを選びとることによって実現されます。物質的な繁栄を限りなく追い求める社会と違って、平和な社会が求めるのは、個人的、社会的、そして地球全体の幸せです。ブータンという国がひとつの模範を示してくれたように、平和な社会はGNP(国民総生産)の代わりにGNH(国民総幸福)を目標とするのです。
(中略)
人間の飽くなき欲求を満足させるために、国々は他国との戦争を引き起こすばかりか、自然界に対しても戦争を仕掛けます。命を利益の手段としかみなさない工場型の巨大農場で、動物たちは目を覆うばかりの残酷な仕打ちを受け続けています。海における魚の乱獲、原生林の破壊、大地の汚染などはみな、この対自然戦争の一面です。もしも、人類が真に平和への道を辿ろうとするなら、こうした私たちのビジネスのやり方そのものから変えなければならないでしょう。本来なら、誰もがビジネスで節度のある利益をあげるだけの余地は常にあるはず。しかしそれは、ビジネスの目的やそれに携わる人々の動機が、ケア(想いやり)、シェア(分かち合い)、そして持続可能性に基づいていればこそ、なのです。
そうした動機は、政府が人々に上から押しつけるものではありません。それは、ひとりひとりの人間の内側からわき起こるものであり、文化の内側にしっかりと組み込まれているものでなければなりません。一方、貪欲、消費主義、物質主義の種子もまた、ひとひとりの人間の心のなかにあるものです。平和な世界をつくるためには、だから、まず私たちひとりひとりが自らの内なる平和をつくり始めるしかないのです。貪欲な心は平和な心ではありえません。平和な心とは、“これで十分”という満ち足りた心です。
私たちの時代の最大の挑戦は、新しい経済学を、新しいビジネスを、そして新しい政治を創造することです。それらはみな、倫理やスピリチュアリティの豊かな土壌によって育まれ、成長するもの。利益や権力は倫理的な諸原則の下位に置かれなければなりません。そうしてはじめて、私たち自身の内なる争いも、国家同士の争いも、人間と自然との争いも鎮めることができるのです。
(中略)
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