サティシュ・クマール ≫ Resurgence

2018年1・2月 No.306

愛のパワー
by サティシュ・クマール

—山を動かすほどの偉大な信仰があっても、愛がなければ、私は無に等しい。(コリント書13-2)

いのちは愛の風景画、
そして愛はいのちの祝福だ。
愛は手段であり、目的。
愛は道であり、行く先。
愛に至る道はなく、愛こそが道、そしてゴール。
愛は存在の道、いのちの道。

愛とは、常に、絶え間なく、愛のうちにあること。
目覚めた瞬間、私たちは互いに愛し合い、
生命そのものに恋をする。
恋愛とは一日限りではなく、
毎日の出来事だ。
愛に終わりはなく、愛は持続する。
永遠に、愛の神秘が私たちを呪縛する。
愛はただそれ自体に仕える。
他に何の動機もありはしない。
愛は論理ではない。
愛は本物の魔法。
愛は純粋の詩、汚れなき快楽。

愛は神聖だ。
愛に限りはなく、愛は無条件。
そんな愛の力に押し流されてしまおうではないか。

真の愛とは不完全な人を愛すること。
善き人を、完全な人を愛するのは簡単だ。
でも、欠点ある者たちをさえ愛するのが本当の愛。
その欠点は、彼らが愛されてこなかったことの証。
それを知ることこそが本物の、普遍的な愛だ。

「汝の敵を愛せ」
キリストはいい加減な気持ちで言ったのではない。
彼は大真面目だった。
「愛はすべてにうち勝つ」
そう彼は信じていたのだ。
なぜなら、愛によって、敵は友となる。
愛は過去の過ちを記録しない。
意気地なしに愛は向かない。
もう一つの頬を向けよ、と愛は命じる。
愛するとは、勇敢であること。

愛の歌を歌おう。
それだけですべての不安と不幸は蒸発する。
愛の恍惚のうちに生きよう。

愛とは自らをありのままに受け入れること、
そして他者をありのままに迎え入れること。
期待なしの受容。
価値判断も資格試験もない抱擁。
期待のない愛には失望もない。
愛は甘さとともに苦さを、
明るさとともに暗さを、
歓びとともに痛みを、
つまり、すべてを穏やかに受け入れる。

心に愛をもちこむ途端、
幻想は想像として、
対立は調和として、生まれ変わる。
好きと嫌いの二元論を超越し、
私たちはあるがままの生を祝福する。
愛の美酒を飲んで、私たちは変身する。
スフィ教の詩人ルミは言う。
「愛によって苦さは甘さとなり、
愛によって銅は金となる。
愛によって濁りは澄み、
愛によって痛みは癒しとなる」
それこそが、愛に秘められた変革の力だ。

愛するとは神を見ること。
なぜなら、神は愛、愛は神だから。
愛こそは地上で最も偉大な宗教。
愛は雄大で荘厳。
愛があるところには希望がある。
愛しなさい、そして歓喜しなさい。

愛の旅路をどこから始めるかって?
自分自身から。
キリストは言った。
「自分を愛するように隣人を愛しなさい」
「自分」という言葉が鍵だ。
自分を愛するからこそ、他者を愛する。
その「他者」とは、「自分」の延長にすぎない。
自己への愛は自己中心でも利己主義でもない。
自らを愛せない者がどうして
他者を愛せよう、他者に愛されよう?

自分をあるがままに受け入れ、
他ならぬ自己として愛する。
それなしに、他者をあるがままに、
他ならぬその人として愛することは不可能だ。
あなたは私で、私はあなたでできている。

愛は怒らない、怒らせない。
愛する人々は敵をつくらず、
愛する人々に敵はいない。
嫌悪は憎しみから生まれ、
友情は愛から生まれる。
花を愛し、蜜をつくる蜂たちのように、
愛する者たちは愛し合い、幸せをつくる。
愛は生命の目的。
愛を通して私たちは生きる意味を見出す。

生きるとは愛すること。
愛するとは冒険すること。
傷つく危険を、愛されない危険を冒すこと。
愛してくれる人を望むまい。
ただ、愛する人であろう。
愛されるのは、愛することの結果にすぎない。

愛は魂を目覚めさせ、心を育み、
生に歓びをもたらす。
愛は最も美しいマントラだ。
愛は特効薬、
怒りと不安と怖れと嫌悪に傷ついた心身を癒す。

あなた自身への愛、愛する人への愛、
人々への愛、そして自然への愛は、
分かちがたく一つに連なっている。
自分に、そして他者に親切であることが大切だ。
誰も苦しみもがくことがないように。
誰もが愛を知り、その歓びを味わえますように。

すべてをその内に包み込む愛は、
様々な形をとって自らを表す。
“フィロロジー”とは学びへの愛
“フィロソフィー”とは知への愛
“フィラントロピー”とは人々への愛、というふうに。

より親密な愛の表現としてのエロチックな愛。
恋すること、そして愛する人の抱擁の中にあることの
なんという素晴らしさ!
恋愛は一生に一度の出来事だ、などと思うなかれ。
そう望みさえすれば、私たちは毎日、
恋し、愛することができる。
いや、そうあるべきなのだ。

詩人やアーティストや神秘家たちは、
ロマンティックな愛の恍惚を知っている。
身体的な、感情的な、想像上の、
そしてスピリチュアルな愛の歓び。
浪漫派の詩作や芸術は、
心と心の触れ合いを、
自然との、人々とのつながりを祝福する。
愛は理性のさらに向こうへと私たちを導く。
知性の向こうへ、記述の向こうへと。
愛は私たちを善悪の彼方――
気高さと寛容のくにへと連れてゆく。
それは、深い愛を湛えるいのちの場所。

必要なのは愛だけ、
愛はすべてだから。
愛こそが答え、
問いが何であるかに関わらず。